思考は熱いうちに壁ドン

みんなキモくてみんないい

スマートウォッチが気になる

 Apple Watchどうなるんだろ。買えないけど気になる。ナイコンですね。インタフェースがどうなるんだろう。リューズだけでなくベゼルや側面に工夫が見られるのか気になる。小さなタッチパネルに人差し指で操作するって、安定感があまりない気がするんですよね。親指と人差し指でグッと挟み込んだ方が安定感があるんじゃないかなあとか。挟み込まなくても側面は何か使えないかな。部品数少ない方がいいのかなとか、現状はユーザーがタッチパネルになれてるから外せないのかなとか。時計のベルトにバッテリーが入ったら面白いと思うけど、熱がもちそうで低温やけどしそうだなあとか。また適当なこと書いてアドバイス財にならないように、手を動かしている人の興をそぎたくない。想像するのはタダなので、目を瞑って空気を腕に巻いてみる。「オーケーグーグル」といってSiriさんに罵倒される。心の中で適当に想像してます。

追記:あるんだ・・・。
これで安心? Apple Watch用のバッテリー内蔵ベルト : ギズモード・ジャパン

楽しくなくてもいいんだけどね

 楽しいという気持ちは声をだすだけのものだけではないと思うんです。ほっとおちつくことも一つの楽しいだったりするんじゃないのかって考えることもあるんですよね。「コーヒーなどを飲むことが一つの楽しみ」なんていう話もあるわけで。なんと表現すればいいのかわかりませんけど、おちつけと。おちこんでも仕方ないだろうと。ふぅと息が吐ける楽しみがあればいいですなあ。

どんな姿勢でブログを書くのか

ふらふらはてなブログのトップページから読ませていただいてます。
 飯、アニメ、いろいろ。
  たまに、この記事はどこで書いているのだろうと思うことがあります。
   スマートフォンから書いた記事と、パソコンから書く記事は違うのだろうか。
  気になる。
 同じネタの記事。
端末の違いで変わるのか。

専門用語がバズワードになるその先は

ひとつの心配を持って書きます。

本題

所属欲求の揺り戻しがくるなんて言ってられません。
いきなりな言葉ですみません。
ただ、以上のブログの記事によってネットの潮流が変わるとするならば、割と予想ができます。
「所属欲求のゾンビ」「あの人は所属欲求が強い」「所属欲求つよすぎw」
自治厨」という言葉が、それに置き換わるかもしれません。
そして群れることを一種の恥だという潮流が起きる。
実は「所属欲求が強い」とその他者を嘲る行為そのものが、べつの所属欲求の現れであることも気づかずにコメントする人が出てくるでしょう。一種のキョロ充ですね。
「承認」欲求という言葉が現状、どのように使われているか検索すると同じ空気になりそうで眉間にしわが寄ります。
他者を「虫ピン」でとめるようなバズワードになりそうで心配です。
 現象を理解するための専門用語は、現状を打開するためのヒントであってほしい。
今の時代において、その予想されるネガティブな用法で流布されるとちょっとよろしくない。
揺り戻しがくるなんてぽややんとした受動的な話ではないのです。

 無縁社会にたいして、貧困に取り組んでいる人は「いかにグループを作っていくか」を集中して取り組んでいます。
オレオレ詐欺だって、連絡を取らない孤立に近い世帯から被害にあうでしょう。一言連絡すれば対処できるかもしれない。
悪質な訪問販売も孤立した心の隙間から入ってきます。
シェアハウス、ありますよね。それは経済的にエコだから・・・だけではないでしょう。
フルサトを作る集まりも所属欲求からでしょうか。
 潜在的にあるのは「みんなで知恵を出しあってなんとかしなきゃ」だと思います。
これを意識しないといけない世の中になりました。

 「時代」と「年齢における固有の欲求」を混ぜて考えているようにも思えます。
「若者」という年代にスポットを当てるにしても、20世紀末に「カミナリ族」「竹の子族」「チーマー」「アムラー」「シノラー」ありました。すこし下って「カラーギャング」もありました。若者は小規模であれなにかしら名前をつけて、あるいは名づけられる程度にグループを作っていました。(漫画や昨今の「なろう系」の話はオタク像の考察を目的としていないので省略します)。

 2ちゃんねるの匿名性を所属欲求という言葉で一括りにするのもいかがでしょう。
リアル社会での「所属」の縛りから離れたい気持ちが匿名にいきついたと考えられないでしょうか。匿名でブイブイ調子にのっているのにリアル割れした瞬間におとなしくなったりします。2ちゃんねるは「所属に縛られない自由なコミュニケーション」が一つの目的であったと聞きます。ニコニコ動画も「既存の所属」から抜けて「気軽にコメントをつけられる」から匿名でコメントしているのでしょう。所属から縛られたくないから匿名なのに、わざわざネットに来てまでハブられたくないという欲求・・・所属欲求からでしょうか。
 ただ匿名性を利用していくにつれて、文化が形成され、そこから帰属意識が出来たというのは否定しません。顕名を嫌う空気もたしかにあります。それらの具体例は「ネット原住民」という言葉で説明できるのかもしれません。
 あとSNSは、リアル社会の延長として利用されるwebサービスから始まっていますので、「既存のグループ」からの意識は当然ながらあると思います。「リアルの延長線」は「個人の時代と言われながらも20世紀末にも若者はグループを作ってきた」という既存の流れの踏襲であるとも考えられますね。
 また現在の「匿名でも登録できるSNSサービス」の話は、先ほどの「ネット原住民」の話に関連してきそうです。

 ネガティブな用法の話題に戻ります。
 数年前に「若者は風邪もひいていないのにマスクをするんです」という話題がありました。当初からマスクをする、おかしいでしょ?という空気でした。ネットでは「マスクをする方が温かいから」「風邪防止になる」など色々反論もでました。その通りだと思います。しかし皆が意識するようになってしまい、「マスクをつけると一括りにされて恥ずかしい」それで悩む人も出てきて、マフラーで顔を覆うように工夫したりする若者もいました。現在「マスクをする」行為は、動画を撮られたくないというまっとうな理由がありますし、テレビ側もきちんと配慮のためにマスクを配ったりします。そしてやはり温かいです。
 たしかに流行をとらえる一つの切り口、「ある見識の正しい論」だとは思います。しかし一手先を考えるための話を、ただ「若い世代の流行を把握してます」という気持ちで言い放つだけなのはどうだろう、せめてもう一言欲しかったなと当時は思いました。

 たくさんある今後の課題に個人レベルで応えるなら、第一に「意図をもって群れとなせ」と考えてます。
 下手に歯が浮いたことは言いたくないのですが、とにかく能動的にグループを作っていかないと生きていけない。

「所属欲求がバズワードとなり、若者がグループを作ることを忌避するようになる」ことを少しだけ心配して書きました。
その心配も徒労に終わればいいのですが・・・。


反論と言うより、私はこういう考えですという感じです。
言葉が強く偉そうに感じられましたら申し訳ないです。どうしようかずっと悩んで書きました。
書き終わってからその専門用語で検索してみると、早くもそういう潮流になりつつあって、大丈夫かなというきもちです。

追記
要約消しました。

書いても書かなくてもおなじ時間

何かを書こうと考えてるうちに時間が過ぎていきます。
反省しきりです。
もう少し書き方を変えていかないと。
年初から「店長とちがう」とか失礼なことを書いたりするし。
いけませんね。
店長申し訳ありません。
1月は風邪をひいたりするし。
考えると書けなくなるというか、習字の半紙を前にして筆をのせられないような感覚です。
あとブログより目立ちにくいスペースで書く方が気が楽という。
とくにPVを稼ぐことを目標にしているわけでもないですし。
それに言及を避けてるわけでもとくにないのですけども。
(萌えたくはないですけどね)
そんな感じで、とっくに熱いうちに壁ドンは難しくなりましたね。
壁ドンも本来の意味とちがう流行語になってしまったし。
タイトル変えた方がいいかな。
書くことは難しいというか、もっと考えて、ひとつずつ学んでいくしかないような気もします。
はてなスペースも、ううむ。何をすれば人が増えるのかはうすらぼんやり想像しますけども。
ううむ。
というか、久々にはてなブログのダッシュボードを見ると、機能が充実してて驚いた。
すごいですね。
うん。
ただ今のところは脈絡も何もなく、手が動くままにブログに文字をのせていくことが今のところ精一杯ですな。
ネットに対して、面倒と思わないところがまたふしぎなんですけどね。
少しずつ慣れてきているのか、じわじわとマヒしているだけなのか。
気楽に楽しくやっていければいいんですけども。
しかしいろいろ思うこともあるわけで。