読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

思考は熱いうちに壁ドン

みんなキモくてみんないい

楽しかった「はてなスペース」の思い出

お疲れ様でしたという気持ち。もう終わってしまうというさみしさから少しだけ書く。始めたのは2012年の12月だった。誰からも招待されないのにいつの間にかスペースが使えるようになっていた。当初から閑散としていて、ハイクやツイッターより落ち着いた環境だった。それが私にとっては書き込みやすい環境だった。人知れず少人数でコソコソとやっていきたかった。アニメの感想や運動報告など勝手気ままに書き散らしていた。アクセス解析もなく、誰が見ているかという情報も、誰が参加しているかというのも意識もせず思ったことを書いていた。気にしてなかったから何かができた。コメント欄が小さいデザインもよかった。ちまちまと目立たない様がよかった。悪目立ちしたくないからね。そんな適当にしていたある日、まめ狸氏がぽっと参加されて「村は?」という言葉から勝手に村であるらしいスペースを作ってしまった。何かをしたいというより、場所があればユーザーに意識を向けることなく、ネットという定義しづらい概念を誰かしら面白く語ってくれるかも、という気持ちだった。だから当初は作って放置という形にした。適当に放置してたら書いてくれるでしょという算段だ。スペースの感想はたまに目に入った。ツイッターからだった。はてな上では流れない情報だった。放置に対して苦言をされる方がいた。なので適当に思ったことを書くこともあった。書くと「なげーよ」と苦言が入った。板挟みになって悩むこともあった。どうしていけばいいかと意見を募ってみるとサッと人がいなくなる感覚もあった。「なるほど付かず離れずですか」と感心した。みんななんだかんだで一言持っているのだろう。素直に書いてくれればうれしいのだけどもそううまくいくはずがなかった。行き当たりばったりだもの。村に対するちょっとした気持ちはこのブログの第1回投稿目に書いている。ぼんやりとした気持ちを長々と書いているだけだが、自分のスタンスをよく表しているとも思っている。厳密な定義は頭を使うから避けているくせに、語り合いたいという気持ちが読み取れる。たぶん今もそんな気持ちは変わっていない。誰かしらと語り合い、楽しみたいという些末な思いはブックマークを始めた当初からも持っていた。「こんにちわ、○ね!」などと気軽に殴り合える、それがブックマークの良さだと某誰それかがコメントしていた気がするが、それに正直飽きていた。殺伐とすることに興味が持てなかった。そこまで憤ることもないでしょうと。そこまで首突っ込むこともないだろうと。ぼんやりと思うことが多々あった。年を無駄にくって落ち着いたというより、慣れてしまい、それが世間のスタンダードになって呆れて飽きてしまったからだろう。スペースに対する思いは、厳密に定義して込み入った話をまとめたいというより、書くことによってぼんやりした思考を少しだけ整えたかったのかもね。情報を集めるより、ユーザーの変化を求めていたのかもしれない。場に情報を集め整理されることで、場に活気をもたらせたかったのか。いや、ユーザー個人の変化を希望していた。場だけが活気づいて個々のユーザーがなきものにされるというのも納得できなかった。見ていても気分のいいものでもない。ツイッターやハイクのようにユーザーに対して直接スポットをあてず、スペースごとにタイトルが割り当てられる。そこにスペースの優位性はあったのかもしれない。はてなスペースは使いづらいというコメントもあったが、それは利用者がどこまで工夫できるかというゲーム性があった気がする。何もかも後付けだけど、頭をひねる楽しさがあった。この3段カラムで何ができるかなという思考も楽しみだった。誰もいなかったから自由にできた。少し荒れることもあったが、その人がやっていることにある程度考えがあってのことであろう、ならば有りと判断した。だから他の人がクレームを書くまでは黙認した。もう一つのスペース「艦これ」は、ありがたいことに書いてくれる人がたくさんいたので思い切ってお任せすることができた。少人数でコソコソできて本当に楽しかった。自分も書きたい気持ちはあったけど野暮なようで極力控えた。で、村だ。あれは悩んだ。個人ごとに思惑が違った。興味深くもあったがまとまりがなく、どうやって進めれば良いのかわからなかった。何やっても文句が聞こえた。ついに書き込みがなくなった。どうしようもなかったので1年近くは様子見をすることにした。逃げたといわれてもしかたがない。あれが精一杯の対処法だった。それからだ、うれしいことにもうちょっとやれと耳にする。ちょっとした声だった。これはもう私自身が思う村感を前面に押し出すしかないだろう、文句はスペースというサービスが自由に誰でも村を作れるのだから、サービス全体にお任せすることにした。お任せしたところで疑似ストーリーを作っていかなくてはならず、これが結構しんどいことだった。面白いということは十人十色、村史観も十人十色。もうなんでも書いていくしかなかった。偶然だろう、奇譚が遠くから産声が上がった。とても面白かった。さすがプロだ。勢いが違う。それを応援することしかできなかった。それが奇譚・互助会である。影響のない場であるからこそ乗っかることができた。ナノサイズのコバンザメである。わちゃわちゃと増田にも乗っかった。奇譚より前であるが増田図書館の完成だった。しだいに乗っかることを覚えてしまって自分の意見を書かなくなった。これはよくないなあと思いながらまとまった時間もとれないことも要因だった。これはただのいいわけだ。しかたない。反省する一方、他方から新しいスペースの産声が上がると喜んだ。エイプリルフールも面白かった。ウェブサービス全体に盛り上がってほしかった。盛り上がりすぎるとキツイのはわかっているのだが、このままではつぶれてしまうのではないかという危機感もあったのだ。あともう少し語れる人が見たかった。そんな思惑も終了の告知が入ることになる。2012年から4年か。5年は続けようとぼんやり考えていただけに残念である。いろんな意味ですべてが砂上の楼閣だった。何もなかったのだろうか。いや、十分に面白い体験ができたと思っている。勉強になった。なるほど大多数の意見にもまれると個性が出てくるのかと。個性の地がでないことには、埋没して見えなくなってしまうのだと。表層上に浮かび上がる体験と、無意識から体験した経験が自分の血肉になっていると意識できる。スペースを体験した前と後では考えがかなり変わったと思う。様々なサービスに対しても思うところは結構変わった。とてもよかったと思うと同時に、次はもう少しうまくやりたいと考えている。次だという気持ちが残っている。今回の体験を次につなげていきたい。その気持ちはウェブサービスを作ったであろう中の人にも持っているのではないだろうか。次だ。今回のサービスの閉鎖を経て、より面白い体験ができるゴツゴツしたウェブサービスができるに違いない。それを待っています。そんな気持ちです。ありがとうございました。