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思考は熱いうちに壁ドン

みんなキモくてみんないい

パラダイムシフトではなくダンピングが起きてる。

参考:
ネットによって文章を書くようになった人たちは消費者でもなくクリエイターでもなかった - Togetter
素人が増えただけで仕事を失うプロなんて、淘汰されるしかあるまい - シロクマの屑籠
「ネットによって文章を書くようになった人たちは消費者でもなくクリエイターでもなかった」に対する考え


 パラダイムシフトではなくダンピングが起きてる。
 前者では市場が電子書籍などの新しいステージに入っていくのに対して、後者は同じステージのまま玉石混交な文章が雑多に乱立し寡占状態だ。後者の中には二束三文で買い叩く業者までいて、長く続くと産業は緩やかに衰退していき、やがて誰もいなくなってしまう。そういった現象は文筆業に限らず動画や絵、音楽まで多岐にわたり、パソコンが普及してからは誰しもが発信できる時代になった。
 それらのことが原因で市場が拡大せずに、プロの仕事が奪われていったのだろうか。

労働ダンピング―雇用の多様化の果てに (岩波新書)

労働ダンピング―雇用の多様化の果てに (岩波新書)

 ライターたちが夢見た市場の拡大とはなんだろう。
 仕事として文筆家を選んだ人たちはもともと本が好きであり、書くためには多少なりとも資料を集め、流行を知るために既刊の本を買いあさるなど、必然的に文章に触れる機会が多い。だから文章を書く人が増えるとなれば、本や雑誌、文章が売れるだろうと考え、長い目で見れば市場規模が拡大し、供給側が潤う、そしてまた読者が本などを購入してくれる。以上のような好循環が生まれるものと期待したのかもしれない。

 しかし市場は膨らむどころか縮小しているようだ。
 文筆業とひとくちにいっても新聞屋からエッセイストまで多岐にわたる。新聞の新聞の発行部数の合計だけをみても、2000年から右肩下がりなのは確かだ。出版年鑑を見ても、書籍や雑誌の出版状況は昨今芳しくない。
新聞の発行部数と世帯数の推移|調査データ|日本新聞協会


 コンテンツ供給者だけでなく、受け手にも問題があるのかもしれない。
 パソコンが普及し、ネットでコミュニケーションをとるとなると、現在ならばツイッターなどの文字主流でのコミュニティが思いつく。写真を撮ってアップロードをしても、それにコメントを書き込んだりするのも「文字」だ。ネットワーク上で会話をすることはSkypeなど音声的なやりとりはあれど、主流は文字媒体だ。
 昨今の情報過多の時代には、視覚に頼りすぎて、人が情報を処理するキャパシティを超えてるという見方もできる。大量の情報を受け過ぎて阿呆になったというか、頭の中をブルートフォースアタックされてぼんやりとしている人が多いように思える。「はてなでタイトル見てブクマ余裕でした」的なものだろうか。
 ブログを読もうと思えば手元のスマートフォンですぐに見ることができる。情報の洪水を受け取ろうと思えばすぐに手に入る。そういう混乱した状態で、文章を読もうとしても食傷気味で流し読みをしている読者も多いのかもしれない。


 消えたとみえる市場は何処にあるのだろう。
 不当に価格を抑えようとするのは業者だけではなく、絵を主流としたSNSを筆頭に、地産地消のようなアマチュアがタダ同然でコンテンツを作り、消化して行く場所が存在する。彼らは金銭よりも名誉、知名度を求め、創作すること自体に楽しみを感じている。個人的には若い人が多いように思える。その枠組みを作っているのは誰だろう。

 19世紀のゴールドラッシュで儲かったのはジーンズを売った人たちだとはよく聞く話だ。絵や音楽、文章などを発信するための主なツールがパソコンと考えるならば、結局のところ人が集まるようなポータルサイトを作った人が一番儲かっているのではないだろうか。コンテンツを作った人に、文章を書いた人に自動的にお金が入るような時代には、残念ながらまだまだ黎明期に思える。
 
 情報を集約、咀嚼し、不特定多数に発信することはマスメディアの稼ぐひとつの方法だろう。本来コンテンツを作る人にお金が行き渡ってもらいたいし、むしろポータル側より重要視されるべきはクリエイターだと思う。一番儲かるのがポータルサイト作りならば、皆がそちらを作ることばかりに集中し、クリエイターをないがしろにしていると、誰もコンテンツなんか作らなくなってしまうのではないか。
 考えてみると、今、ライターなどのクリエイターが心配しているひとつは、ダンピング意外にもポータルサイトの奪い合いで筆者に適正な価格がペイされていない、安心してお金が稼げるところがないということではないだろうか。電子書籍などの市場が拡大したように見えて、実のところポータル合戦、パイの奪い合いが始まっている。金脈を掘らず、ジーンズを売ろうとしている人ばかりが集まっても金脈が見つかるとはとうてい思えない。誰か採掘しにいけよ、と。

 複数のニュースサイトにも有料化の波が広がっている。市場が拡大しているようにみえて、実は読者は増えておらず、単純にポータルサイトだけが増えているように感じられる。利用してみようと思ったのだが、とにかくアカウント取るだけで面倒だ。ひとつひとつのニュースサイトのアカウントを取得する作業だけでお腹がいっぱいになる。
 ニコニコ動画が、「静画」などというサービスを始め、次に「メルマガ」を開始するなど、本当にに商売が上手い。一つのアカウントで済むのだからユーザー側はとても楽に金銭を支払える。
 新聞各社のサイトもそろそろiPhoneアプリの「ビューン」のような、あるいは一つのアカウントを取ればどれでも読めるようなサービスが出てこないのだろうか。電子書籍のプラットフォームの奪い合いも読者としては辟易する。

 いずれにせよコンテンツという魚を捕まえるのに今は投げ網でどうにか間に合っているのかもしれないが、海外に向けて遠洋漁業をするとか、既存のユーザーを育てるような養殖業などを考えないと、やがてはおもしろいコンテンツを作る人たちが枯渇する。または悪貨が増えて誰も近寄らないようになるだろう。クリエイターが絶滅危惧種に指定されそうな予感も極論に思えるかも知れないが、一考に値すると思う。皆が食い扶持を失いかねないと考えないのだろうか。エライ人はチキンレースをしているのだろうか。投げ網漁ばかり、生け簀を作ることだけを考えているのだろうか、エライ人たちは。ドワンゴクリエイティブスクールの取り組みはクリエイターの必要性に駆られて創設されたのだろうか。私、気になります。


 文筆業の寡占化が起きたメリットとしては、手書きではとうていプロになれなかった人でさえお金を稼ぐことができるようになったという事実だ。文明の利器、ポータルサイトで一躍人気が出れば出版することも夢ではない。年々着実に文筆家は増えている。そのことに重きを置くのであれば、以前のプロ作家たちにとっては住みにくい世の中になったのかもしれない。しかし読者にとっては大量のライターたちが切磋琢磨することにより、より質の高い文章も出てくる可能性がより現実味を増したように思う。
 多少なりとも悪貨は増えるのかもしれない。それをコントロールすることは読者の目であることは言うに及ばない。読者も少しはいい文章を選ぶことに意識を置いてみることも悪くはなだろう。大きな組織がそれをコントロールすることよりも、読者自身が良い目を持つ必要性が問われている。今後、著名な作家が新たな小説神髄文章読本のような書籍を出版してくるかもしれない。


 文筆業でふと思い出したのは、翻訳の仕事というのは、『出版翻訳市場全体の売り上げを大手の翻訳学校1校が稼いでいる』(英日日英 プロが教える基礎からの翻訳スキルP14)そうだ。同じような構造をした産業は意外に多いと思う。

英日日英 プロが教える基礎からの翻訳スキル

英日日英 プロが教える基礎からの翻訳スキル


 「育てる」ことの重要性を今一度考えてみたい。クリエイターが適正価格を稼げるということも育てるのひとつだと思う。そういう点では国も民間もどんどん支援してもいいのではないだろうか。ポータル奪い合いなんて時代はそろそろ終わりにしてほしい。