思考は熱いうちに壁ドン

みんなキモくてみんないい

暑いしか書くこともなく

読書ダ読書ダと息巻いている割に全然読めてないです。空間的な問題はようするに暑いなあという問題。蚊の彼奴らどもをウチワで仰ぎまくってますよ。こういうときに重力丼でもあれば(などと内輪的増田文学を書かなくてもいいのにね、暑さのせいにさせてください)扇風機じゃ本のページをめくるお仕事を手伝っていただく程度で、なかなか涼しくなりませぬ(扇風機様にタイヘンシツレイ)とくにジャンルを決めてるわけではなくて、ブログを書いてらっしゃるかたの本など身近なところを読んでいたりします。難しいですが、こういう読み方もありかもって。まあ楽しい。そうそう、はてスペもネタ増やしたいのだけども、夏で暑くて何にしましょうと。真摯に向き合いたいですよね。以上、あまり内容に関係なく「読書の夏」というお題について書いてみました。

あまり気にしてなかったり

 ミニマリストという言葉が流行ってますが、特に記事は読んでません。断捨離のことか、自分の身の丈にあった範囲で楽しもうとかそんなところかなあと想像するくらいです。違ったらすみません。マキシマリストとか言葉が出来そうだなと思ったかんじです。すみません後出しですね。ミドリストとかどんどんできたらおもしろいかなあとか。新しい言葉が流行るときは料理のソースが変わっただけなのかは考えた方がいいカモですね。とくに言葉に悪気があるわけではないし、新しいことは基本的に好きですから率先して飛び込んでいく方がいいかもしれませんけどね。まあ楽しんでいきたいです。こつこつ自分のことを進めていけるようなタフな精神が欲しいところです。それがあれば周りに肩を揺らされても動じることはないですからね。揺らされて行動するのも好きですけどね。チェキラっちょ。

ニコ動さん怖いのはやめてちょ

 いやホラーってやつ。
 これね、これ。マイページのところでちょっと驚きましたよ。
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ニコニ廃校とは (ニコニハイコウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
 ビックリしましたよ。季節な感じでしょうけどもね。
 ユーザーが「うーっす」ってリアルで来たら驚きますよね。やはりアポイントはとりませんとね。うん、そういう感じです。好きな人は大好きなんでしょうけども、ありゃ怖い。好きかどうか聞いてからにしてくださいな。けしからんのは仕方ないにしてもですね。:P
 想像してみると事前に設定画面でホラーの好き嫌いを選択するのもシュールですけどね。

昨日の「NHKスペシャル」がおもしろかった

 内容は政治。
 とても駆け足だったけどまとまっていておもしろかった。このシリーズ2回目だったんだ。1回目も見た方がいいかな。オープニングアニメをもう一度みたいと思ってネットで探すとなんとコメント付きで振り返ることができる。ありがたい。
NHKスペシャル|戦後70年 ニッポンの肖像 40秒でわかるニッポンの戦後70年

 で、えーと昨日視聴した番組名は…
NHK|ニッポンのポ >> 番組情報 >> NHKスペシャル戦後70年 ニッポンの肖像

 かなり駆け足だった気がしますが十分興味深く楽しめた。ぎゅっと詰め込んだ感じ。「これからどうしましょ」という問いかけをされているような気持ちでもありました。ネットで政治の話はまあ大体もめるからニコニコ実況の方も終盤にはコメントが乱れてたみたい(横目でちらっと)。配分や肯定否定の意見はあるとは思いますが、十分ではないかなと感じました。意見は人それぞれってことで。テレビの字幕をメインに目で追いながら視聴してました。第一回目もまた再放送して欲しいな。オンデマンドもあるみたいですね。

NHK|ニッポンのポ
 webページも面白い。webはもう少し時系列をわかりやすくしてほしいな。年代別という意味ではなくて、「放送順」という意味でです。昨日視聴した番組はどれだったかうろうろしてしまった。

 色々と考えさせられることはあります。
 いい番組で面白かったです。

答えはないけど考え続ける

 つれづれ思いつくままに書くから何書いているのかわからなくなってきてます。
 コンテンツ、というか小説って何だろうなと、もうずっとずっと考え続けてるけど答えがでない。あるときぱしっと決まったかのように思っても、熱が冷めるとなんかしっくりこなくなる。定義を文章にしてみても、脳みそのもつ「しっくりこない」が邪魔してしまう。たくさんの、百人程度(ていどってなにさ)に共感を貰って文章のわけのわからなさを無理矢理しっくり見せているようにできる能力があればいいんだけど。それこそコンテンツの、小説の神髄ではないのかとふと思う。

 コンテンツってなんだ。
 ずっとずっと考えてるけど、人にとって必要なものだと直感として持っている。
 何故かは説明できませんが、そう思うのです。
 そういった言葉にできない「ぬるさ」というのは、自分の甘えでもあって、優柔不断なところでもありますよね。人様に説明をするためには、ときにはクールに決めたいときに、伝えるときに必要なのかもしれない。相手のことを考えられるような、思考形態も持つ必要があるのかもしれません。それは意識してクールスイッチを上げるものだろうか。むしろスイッチを意識せずに思考できるからうまくスマートにできるのかもしれない。さぁ何を書いているのかわからなくなってまいりました。

 また違う話をしますね。
 かなり話を変えますね。
 思うのは、みんなたくさんの人がいて、たくさんのおかしな人がいるのだけれど、ある一線は守っていて、それは倫理観と言うより矜持というのに近いものであって、うーん、なんといえばいいかな。格闘技の先生が弟子を締め上げて「技はこうかけるんだ」といって説明しているのにボキッとやってしまったら一瞬で「せんせい」と、師として仰いでいた気持ちが冷めるし、打撃でも寸止めで教えるときに感情にまかせて振り抜いてしまったような。そんなダサさがネット上のベテランの人が個人ユーザーを対象にして起きているのを見かけると、ふと師と弟子の武術の手習いを想像してみていたりしてました。いつの間にか傷つけているのに気づかないのかなと、ときに想像してました。エアリプではなくネットで見かける行為でです。
 別の方向性はないかと模索しているところでもあります。だってネットのコンテンツがユーザーと直結していつ爆発するわからないサービスになりつつあるのだから。UGCの可能性はまだまだもっといいものがたくさんある。それが何故減っているのかというのはまあ年齢を重ねたというのも一つなのでしょうか。仕事もいそがしいし。近頃はカラオケのシステムみたいにゲーム実況があれば楽しいのかなと思ったりもします。
 話がぐるぐる変わります。
 ユーザーが「観る」側に変わってしまったからだよなあ。ヲチ。「観る」が解説者を求めて、「観るグループ」>「作る人」。これはどうにかしたかった。皆で作って楽しんで、楽しんだ先に多様性のドアみたいなのができあがっていて、それをくぐると別の感性が生まれてくるような楽しさが無意識に起きていけばなあ。ドアの作りを検証するのもいいけど、はじめはくぐればいんですよね。わくわくしてくぐればいいじゃない。あとでがっかりすればそれはそれでいい思い出になるかもですよ。UGCの火は赤くなって燃えてしまっても消えて欲しくない。
 ぼんやりと思うことはもうずっと続いています。